「波浮の港」は承和5年(838年)、マグマ水蒸気爆発でできた噴火口に雨水が溜まり、波浮の池と呼ばれました。元禄16年(1703年)の元禄大地震・津波により、波浮の池が決壊して海と繋がり、今から213年前の寛政12年(1800年)、房州の人、秋廣平六によって開拓事業が行われ、南北430m、東西280m、深さ中心部で約17mの風待ちの港、波浮港が開港されました。

都道沿いの「波浮港見晴台」は高台にある展望台で、美しい円形の入り江の波浮港が一望できます。港周辺は昔ながらの木造の建物が立ち並び、いかにも日本的な雰囲気を残す町並みです。1800年開港の風待ちの港「波浮港」には明治、大正、昭和にかけて多彩な文人、墨客、貴人が訪れ貴重な作品を残しています。「旧港屋旅館」(踊り子の里資料館)「旧甚之丸邸」などは歴史探索の定番です。

近年、波浮港を愛する人々の尽力により、文学碑が随所に建てられました。「文学の散歩道」を廻られ往時を思いはせてはいかがでしょうか。椿トンネルも各所に見られます。

 

見晴台より波浮港を一望

港のようす

かつての火口壁

港の様子

港のようす

波浮港のクサヤづくり

波浮港の空撮

 

関連情報


  • 「波浮(はぶ)港-元爆裂火口(もとばくれつかこう)」(伊豆大島ジオパーク公式サイト/伊豆大島ジオパーク推進委員会)

9世紀中ころに南東部海岸で割れ目噴火が発生し、マグマ水蒸気爆発を起こして火口湖が形成されました。火口湖は、元禄16年(1703年)の小田原地震で発生した津波により海とつながり、その後、江戸時代に人工的に湾口を拡げて港として利用するようになりました。

  • ​「噴火+津波=港(波浮港)」(伊豆大島ジオパーク(外周編)パンフレット/伊豆大島ジオパーク推進委員会)

9世紀初めの噴火でできた火口が湖となり、江戸時代の大津波で火口壁が崩れて海とつながり、人が残っていた岩を砕いて港にしました。火口壁に囲まれて風に強く、港町としての歴史があります。

  • 「波浮(はぶ)港」(iアプリ「伊豆大島ジオパークガイド」/大島観光協会)

ぽっかり開いた丸い港は、かつての火口。

9世紀中ころに南東部で割れ目噴火が起こり、そのときの火口に水がたまって火口湖ができました。火口湖は、1703年の元禄地震で発生した大津波により海とつながり、その後、人の手で湾を広げて港として利用するようになりました。 かつては遠洋漁業の風待ちの港として賑わい、多くの文人も訪れた波浮の集落。川端康成「伊豆の踊子」のモデルとなった踊子もかつてここで暮らしており、風情溢れる景観が今なお残っています。

 

交通


大島バス
波浮港ライン「波浮港」停下車。
「元町港」停~「波浮港」停間の所用時間は、おおむね33分、岡田港からの場合は元町港で乗り換え、岡田港~元町港間の所要時間は、おおむね20分。
問い合わせ:04992-2-5522
バスの折り返し、職人芸です。

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